自分が撮った写真がいけてないと思ったことがよくあった。
だけどその理由の組み立てが自分の頭の中でうまくできなかった…。
まるでこんがらがったイヤホンのように…。
いつも頭の中で少しはほどけ、また何ヵ所も玉になり…。
あぁ、なかなか成立しない理由づけ…。
最近ふと気づいた…
写真も、言葉もイベントもなんであれ自分の分身たちは、
形に至るすべての自分を知り尽くしている、
いいと思ったあの瞬間の純粋さも、
いけてると思われるんじゃないかとよぎった瞬間の人間臭いあざとさも…。
そう、自分の作品たちにはまるで自分を丸裸にされたような恥ずかしさがそこにはある。
いつかジミー大西のように、ただただ一枚の紙と向き合って本能の赴くままを表現したい。
いってらっしゃい自分、
…思いっきり素直に何かを生み出し、いつも主観にとらわれ過ぎないように…
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西田幾多郎のことば。
ただ、美の、表現の頂点が、
自身の幸福をもたらしこそすれ、
他者に幸せを与えられるかといえば、否。
これは、また別の問題。
では、人は、何のために表現するのか。
それは、花に、なぜ咲くのかと、
尋ねるほどの愚問なのかもしれませんね。
ルルさん
より素直に生きれる気がしました(^^)
セピア…
sueさん
性格はカラフルですけどね♪(笑)
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